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2008年4月29日 (火)

晩春に想う

Photo この頃、春といえば三月から五月までのつもりになりがちだが、旬の感覚では、立春から立夏までを春ととらえないと、日本の春にのりおくれる。段取り不足となって春を深々と味わえぬ悔いが残る。今年もそうであった・・・

春の語源が、晴(ハル)または発(ハル)、即ち万物発生の意にあるというわれるだけあり、春は生きとし生けるものに、生命力があふれている。初春・仲春・晩春と三春と大まかな分け方などでは、本当の春の息吹を感じる事は出来ない。旬などは十日目毎に数えるがそれでも、まだ足りない。

子供の頃は野に咲く花や山菜を積んでその季節の変化を体で体験したものだ。早起きして、山に入る。小さなものの成長は激しく早く、筍、蕗の薹や山椒の蕾もあれよの間に花を咲かせ、人の都合を待たない。

水に棲む小さな命も同様だ。特に白魚は、一週間で大人びる。二月中旬にこだわり絶対にこの時節だけと薦めてくれる知人がいる。さすがに幼いだろうと痛々しくも感じたが、「「白魚は、目がかたくならないうちが身上です」と教えてくれた。目玉の違和感のない二月の白魚が恒例となった。

「明けぼのやしら魚しろきこと一寸」 芭蕉

Unag ヨーロッパに住んでいる時にも、稚魚の食方法があることに驚いたことがある。スペインの「アンギイラ・アラ・ビスカイナ」というウナギの稚魚料理だ。タパという土鍋に、オリーブオイルとニンニク、種抜き唐辛子を入れて火にかける。ここへウナギの稚魚を一掴みして投じ、一気にあおったものだ。

春を待つ、人々の心の根底には、
萌え出づる、とりどりの新たな命に
自分の命を重ね、一つの光の中で
共に息づく、その喜びを
仰ぎ求めているような気がします。

忙しいという言葉に隠れた、こうした一瞬の命の輝きや自然の声を聞いていない自分に反省。

まだ間に合う、晩春の息吹を感じにどこかへ出かけようと思います。

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