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2008年5月29日 (木)

「吉兆」騒動に想う

日本料理の最高峰と言われる料亭「吉兆」の歴史は思いの外長くない。創業は1930年。初代・湯木貞一(ゆき ていいち)さんが一代で築き上げた。「吉兆」は近代日本料理史上の奇跡である。

神戸の料理屋「中現長」の長男として1901年に生まれた。家の方針で上級学校への進学は許されず、15歳から料理修行を始めた。
 湯木貞一さんは、このまま人参などを相手に生涯を捧げてよいのだろうかと葛藤していた時に、松平不昧公の茶会記を読み、その懐石料理の季節感にふれて、料理を一生の仕事とする決意をする。そして、1937年(36歳)には表千家の門を叩き、本格的に茶道の勉強を始めている。
 1930年(29歳)から「中現長」を離れて自分の店を持つが、店の繁盛や戦禍の為に店は転々とするも、贔屓の客は離れなかった。それどころか、良い不動産を斡旋したり、良い条件で資金提供したり、彼の才能に惚れて支持する人々が絶えなかった。ついには1961年(60歳)に東京進出を果たす。
 こうした躍進を支えたのはもちろん彼の料理である。飲食に茶道の趣向を取り入れたのである。ただ旨いだけでは満足しなかった。「吉兆」の料理は器も客室の設えも含めて、五感で味わう料理である。

湯木貞一氏はコレクターとしても猛者だったようだが、店の儲けは殆ど美術品に注がれたと言う。彼はこれを店のもてなしでどんどん使ったと言う。それが彼なりの社会還元だった。今は大阪に湯木美術館もあり、多くの人々の目を楽しませている。

今回、船場吉兆が廃業の報道に触れ、僕もテレビやラジオでコメントを求められました。
コメントとしては、先ず創立者である湯木貞一さんが立派な方であったこと。創業から、ここまでの世界的な信頼を築き上げた功績に対しての敬意をコメントで表しました。そして、起こしてしまった事件は、人の弱い部分が、目先の利益に判断を狂わせた悲しい出来事であり誠に残念であったと。大切なのは、働いていた従業員の方々も仕事を離れれば消費者であり、お客様の立場であるということ。その立場で自分たちの店の行為をみれば認められないお客様への裏切りであったこと。自分の家族に食べさせたくない状況の料理を運ぶ気持ちの苦痛を思いはかれなかった責任は重いと思うという部分にも触れました。

しかし、一番大切なコメントは、このことをきっかけに、今後このようなことが起こらないように食の世界全体で真摯に受け止め、消費者への安全と安心を提供出来るように皆で努力して行かなくてはならない。消費者それぞれが、食の安全や食べるということに対して厳しい目線をもっているからこそ、誠実に取り組んでいる作り手には尊敬や信頼も集まるのです。という部分でした。

結論は、僕が重要視したコメント部分はカットされてしまったのです。

番組のスタンスとして、吉兆の功績を認めた上で起こした事件の部分を反省して、残っている吉兆で誠実に働いていらっしゃる方々へエールを送るという感じはありませんでしたね。コメンテーターも、創業者の代からこのような不正があったのでは?というコメントをされていましたが、故人に対して慎重な発言をして欲しかったというのが本音です。

吉兆で誠実に働く従業員の方々にも家族がいて、生活があるという心配りを持ったコメントが入っても良かったのにとは個人的に思います。言葉やテレビの影響を考えると「不正によって“吉兆”全てが悪の巣窟」的な報道は、残念であります。

視聴率のためにはカットする部分に正しい情報も含まれるのは分かっていても、呼び出されてインタビューを受けたり、誠実にコメントした時間が虚しいと思ってしまいますね。

しかし、こうした場面でのコメントにブレがあってはなりません。

私は、どんな場面でも公平で公正、中立を守るフードアナリストなのです。

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