「さくらんぼ」という宝石
さて、6月です。
今月は鮎釣りの解禁があったりして楽しみにしているのですが、僕にとってはやはり「さくらんぼ」の季節なのです。
残念ながら、私たちはもうさくらんぼの本当の美味しさを忘れているかもしれませんね。それは、1年に十粒入れば幸せなことになるのですから。果たして、日本のさくらんぼが美味しいのかどうかも見極めるチャンスもありません。何より高すぎて手が出ない価格のモノになってしまっています。偶に他から頂いても値段が気になって素直な気持ちで食べられないほどの代物と化しています。
佐藤錦などは、ちょっとした百貨店なら1万円は下らない価格なのですから・・・
僕が子供の頃など、さくらんぼと枇杷、ザクロなどは、帰る道すがら木の枝から捥ぎとってランドセル一杯にして帰って食べたものです。木で完熟した美味しさは格別でした。
まぁ、季節のものだから口に入れられる幸せをちょっと味わえばいいという方もいらっしゃいますが、本来季節の旬のものは、その季節にいっぱい豊富に取れるべきものです。その盛りに3粒4粒では悲しくなります。
どうしてこんな事になってしまったのでしょうか。
5月頃からイタリアやフランスには春を知らせる希望の彩りに満ちた果物があちこちのマルシェ(市場)に豊かに並びます。500gほどのさくらんぼを大きな紙袋に入れてもらいます。街を歩きながら幸せな気分で春風を感じながらつまみます。何という美味しさなんでしょう。ひと粒の果実の中に、確かに一つの世界があるような、深い密度の色々なものがギッシリ詰まった美味しさがあります。あっという間に袋が空になってしまいます。最後の一粒を食べ終えると、急に手のベトベトが気になり始め、すぐに手を洗わねばと思ってしまうほどです。糖度が高いだけでなく、豊富なミネラルが詰まった粘りなのです。
何て幸せな気持ちなんでしょう。
この幸せは、僕の記憶で15フラン、300円ほどでした。1キロだと日本での高級佐藤錦だと1万円。600円との差はどこから来ているのでしょうか。
僕の幼少時にある記憶は、まさにフランスで気軽に食べたさくらんぼの味です。
季節ごとに美味しい果物があふれ、お腹いっぱいに、心いっぱいに季節の恵みと幸せを感じる。こんなことはごく普通の事ではなかったでしょうか。
当たり前の収入で、当たり前の生活をしている人のための、そんな当たり前のことがいつの間にか忘れ去られ、味や香りが落ちた果物に希少価値を付けて、理不尽なまでの価格を支払う・・・。こんなには正しくないですよね。
少し愚痴っぽくなりましたが、要するに本来あるべき姿の季節の恵みを適正な価格で、本当の味わいで充分な量を楽しめる食卓を取り戻したいという提言も、フードアナリストの役割のひとつなのではないかと思っています。
今日は無理なく買えるアメリカンチェリーを手のひらいっぱいほど買って来ました。
これはこれで、充分幸せです。
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